カナダ旅行記 3日目
カナダ旅行3日目。
今日は7:30に出発し、Banff national parkへ。
私が自然好きだということで、Andyとユキコさんがプランを立ててくれ、ミワさんが入場パスをくれた。
Tim Hortonsでコーヒーを買った。手の平2つ分くらいあるような、大きなグランデサイズのカップに、ダブルクリームのコーヒー。
コーヒーの香ばしい香りと、カップから伝わる温もりを感じながら、車の窓から地平線いっぱいに広がる朝焼けと、雪をかぶってシルバー色になっているロッキーマウンテンを眺めた。
ピーターさんやユキコさんが、エネルギーをもらいに行くという、タカカウ滝は残念ながらCloseしていて見ることができなかった。
気を取り直して、Natural Bridgeへ。
エメラルドのような緑の中に、氷のようなひんやりとしたブルーを混ぜたような、綺麗な色をした水が、岩の裂け目から流れ出ている。
激流で見ていると吸い込まれそうになる迫力だ。
そしてその激流からふと目を上げると、そこには大きな山が背景として眼に映る。
空気はひんやりと澄んでいて、肺いっぱいに空気を吸い込んで、大自然の景色を味わう。
壮大で畏怖の念さえ感じるような景色を目の当たりにして、思わず「あぁ、私はこういう景色を見るために働いているのだ」という言葉が口から出た。
心からそう思ったのだ。一生懸命に毎日働いて稼いだお金を、心が揺さぶられるような体験に変えたい。
人類の極技とも言える、美術やスポーツ、映画や音楽など、そういったものを存分に感じることこそが、人生の喜びなのだと思う。
遥かに人技を超えるような、想像もできない大自然を味わったり、先人の文化を味わえるような、人生を送りたいなと、改めて感じた。
その後はLake Emeraldへ。
ロッジで1つ12ドルという、驚異的な値段のサンドイッチを横目に、昼食を取りにLake Louiseへ。
THE Canadaという感じ。左右対称の山が湖を挟み、遠近法のせいか、とにかく迫力がある。
湖畔にあるホテルのレストランで昼食をいただいた。
お店のウェイトレスがとてもフレンドリーだった。適度な距離感と知りたいことをきちんと正確に伝えてくれる。
透き通るような綺麗な溶け出し水が流れる川、湖、日本の樹海のような圧倒的な林が裾に広がる山々、そして広い空、野生の動物、自然。
のんびりとしていて壮大な景色を存分に味わった。
日本でのモヤモヤや普段の悩みを全て忘れて、自然の中に身を委ねた。
ここで感じているカナダでのゆとりある暮らしや、ユキコさんを始めとする正直でオープンな人間関係を、忘れたくない。
日本に戻って、人ごみに紛れ、毎日仕事をし、SNSから日本文化の情報を受け取っていたら、またすぐに戻ってしまうのだろうか。
忘れてしまうことをとても怖く感じて、せめて写真を見て思い出せるよう、必死でシャッターを切った。
帰宅し、ピザを買って隣のマイさん家族と一緒に食べ、そのあとにカーリング場に連れて行ってもらった。
カーリング場には、仕事を終えたカナダ人の若者や老人がグループでカーリングをしている。
そこには年齢も国籍も関係ないようだ。
カナダでは仕事帰りに飲みに行くという習慣がないようだ。17:00には仕事を終え、19:00からスポーツをし、上のバーで仲間と少し飲んで家に帰る。
いつも家族と一緒。土日に会社の人とご飯行くことがあれば、家族を連れて行く。
Home partyでももちろんそうだ。
だけれども、男女関係なく意見をしっかり持っているので、離婚率も実は高いそうだ。
仮面夫婦を続けて目の前で毎日大げんかするくらいだったら、別れた方が良いと思う。
カナダでは、より人間が自立し自由に人間らしく生きれるのではないかと思う。
それから仕事で適応障害になってしまった過去を話した。
そうすると彼女の弟も、日本でうつ病に苦しんだ過去があったようだ。
カナダでは仕事で病気になる人はいるかと聞いたところ、意外にもたくさんいるよ!とのこと。え!意外!と思ったが、みんなすぐにちょっとでも辛いと思ったら、私病気です!というらしい笑 だから病気の人が多いそうだ。
根本には「みんな違って、みんないい」という考え方があるからのようだ。
頭が悪ければ、私は頭悪い病気だ!とある意味受け入れている。それはそれでOKということだ。そうやってみんな生きているらしい。
ミワさんとカーリングを見学しながら、いろんなことを話した。
彼女はさっぱりしていて、しっかりしているのに、とても面倒見がよく優しい女性だ。
私のモヤモヤに寄り添ってくれて、向き合ってくれアドバイスをくれる。
ユキコさんもそうだが、海外に住む女性はカッコいい。。
今日1日を通して、やはり海外はとても居心地が良いなということ。
おしゃれな家、大自然、働き方、人間関係。
私は大学時代にオーストラリアに留学して、自由な生活を知ってしまったから余計だろうか。
知らぬが仏とはよく言ったものだ。